「ノルマを課して初めてそれを続ける」って、どこでどの時点で習ってそうするようになるのだろうか。小学校のドリルでしょうか社会人になってからの仕事だろうか。

ランニングやウォーキングを始めるときに(それが数え切れないほどの三日坊主からのリベンジだったとしても)「よし、明日から毎日2キロ走るぞ」とノルマを課して、手帳にチェック欄を用意したり、記録できるスマホのアプリを探すことをよくしがち。自分もそれの繰り返しだったように覚えている。

リベンジのたびに、ウエアやシューズを新しくしないと気が済まないとかの。

もっとも、シューズについては、そもそもそれを履くことで身体のバランスが崩れる悩ましいものだと気がついてからは、デザインや機能の触れ込みをいくらメーカーが訴求してもスルーするようになった。

話がそれた。エクササイズを始めて続けていくことにとっての「ノルマ」の意味ってなんだろう?ということ。

エクササイズが記録達成のためではなく、日々の「健康」のためであれば「ノルマ」は必要ないばかりか、

外的な強制力に頼って何かを始めよう続けようとする意識。これはどうしてもある。われわれは環境の賜物だから、生きる力は外からやってくる。

だけど「毎日河川敷を2キロ」だけに決めてしまうと、体調不良の日は「今日も2キロなのか?」となるし、雨の日はどうするんだ?ともなる。

このとき「河川敷2キロ」に加えてその上位の目標として「朝一番に心拍数を最大値の7割まであげる」にしておくと、早足で1キロで帰って来ても良いし、部屋で筋トレにして済ませることもできる。

そうなるとスマホのアプリでの記録は困ったことになるので、端から使わないという選択になる。

健康になろう、創造性を高めよう、というときにアイテムが邪魔になる。同様に「ノルマ」も外して、自分の体調を確かめて様子をみるために走っている、くらいの方が続けられる気がするのだ。