6時59分よりランニング3Kコース。自宅から南方向へ、エディオン前のマンションが立ち並ぶ大通りを行き、みなと公園前交差点で京橋川河川敷に出て自宅に方向をとれば最後の1キロ。地図上では三角おむすびのような形になる。

距離の計測は iPhone アプリの Rumtastic によっている。今日はどういうわけか3.59kmとなっていた。汗だくで戻ってきてシャワーを浴びてる間、停止終了ボタンを忘れていてコーヒーを淹れたところで思い出したため、48分もかかったことになっている。
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ランニング(というかウォーキング)に出るときは、まず玄関を出たら歩き出す。夏の季節はなんともないが冬に出るときは「やっぱり今日はやめておこうか」となる。歩いているうちにジョギングしたくなればまずまずだ。最初から「ランニングなんだから走らねば」と思わないことにしている。その日の体調を確かめるための2キロ3キロにするつもりくらいならできそうだからだ。

ジョギングでもつらくなければ、そのうちダッシュを入れる。3キロコースのなかでは3〜4回ほど中程度のダッシュをする。交差点などを仮のゴールと決めて、そこまで大丈夫そうなペースで走る。ランニングに出るのはここがキモだと思っている。筋トレと同じように「限界まで追い込む」場面。

追い込むといえばつらそうだが「このくらいにしといてやるか」である。自分なりに決めてチャレンジしているのだから、人から見たらなんだよダッシュそんだけかよでも全くかまわない。

同じコースに出るのはこのちょっとした私的チャレンジにとって非常に意味があると思っていて、それは同じ区間を定めたダッシュで昨日よりも速くかつ楽に走れたと実感できるときがあるため。

よく全く無駄な努力をしていることの例えに「下りのエスカレーターを登り返すようなものだ」と言う。毎日のランニングもまさに該当すると思っているが、福岡伸一さんの「新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」(小学館新書・2017年)にも、アンリ・ベルクソンの著書「創造的進化」から以下のように紹介されていた。

「生命には物質の下る坂を登ろうとする努力がある」

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