前回の投稿が1月29日だからブログ投稿が1月半ほどあいている。何ヶ月間も放置したことあるので「ずいぶんあいた」とは思わない。もし毎日ブログ更新して1年とか2年続けるなら日常の行動や考え方が変わっていくのは間違いないと思う。

なにか書き始めないとそうはならないけれど。

3.11

今日は3月11日。7年前の14時46分は。関東地方の方とスカイプで話していた最中だった。画面から見える照明が大きく揺れていて、相手の方が「来た!とうとう来た!」と言って揺れる画面の中で立ち上がろうとされていた直後に、回線が切れたようだった。

その後、津波が平地を遡っている映像や、数日後には福島第一原発の爆発する映像をみることになった。小出裕明さんという研究者がいらしたのを 3.11 がなければ知る機会はなかっただろう。ラジオ番組でその声を聞いて、直感的に本当のことを言える人が出てきたと思った。「クリーンなエネルギーです」と書かれた中国電力の広告もとんと見かけなくなった。この日を機会に原発は「安全」ではなくなったのだ。

パラダイム・シフト

2011年を境に原子力発電は「クリーンで安全なエネルギー」から「人類が用いてはいけなかった技術」へとパラダイム・シフトが起こった。子どもの頃に訪れた山口県周防大島の四代(しだい)という漁港に「原発反対派は四代にくるな」との看板があった。今どうなっているだろうか。看板を作って掲げていた人たちはいま何を思っているのだろうか。彼らにパラダイム・シフトは起こったのだろうか。

糖質制限の発見

その2年後の2013年4月から糖質制限を始めたが、エネルギー問題と並んで栄養分野でのパラダイム・シフトだった。健康的な食事とは決してカロリー制限を意味するものではなかったとの発見は、原発が猛烈に危険で汚れたエネルギーだと「発見」されたくらいの衝撃的なものだった。

いまだ実践と探求の最中にあるが、人間の身体は生命は食物や栄養との関係でどのように成り立っているかを掘り起こして、現在の一般的な「食生活」に根本的な疑問を投げかける内容になっている。

電力会社の「原発はクリーン」というパンフを見て何気なく「そうなんだ」とやりすごしていたように、店頭やテレビや雑誌での宣伝を眺めているとマーケットや経済の事情に支配される。生身の生命にとっては危険な食事を続けることになるのだ。

将来的に危険なだけではなく、日々、食べる者の人格を支配するほどの影響が栄養摂取という営みには存在している。自らの「考え方」「特性」「体質」に、自身が違和感をもっている場合、その大元は本人の人格的な問題ではなく、土台である栄養素が満たされていない可能性も広がってきた。

社会的な栄養窮乏

これまで知り得なかった栄養摂取に踏み出すことで、誰でも、本来の自分を取り戻して我が身の人間性を実感できる途が開けてきた。人間は本来おだやかで、社交的で、広い場所を好み、自分と他人の幸福を何よりも望み、平和に生を全うしたいと願って生きる動物である。闘争的になりウソや欺瞞を繰り返すのは、人間の身体に備わった本性なのではなく、経済の事情と栄養窮乏が人の身体と精神にもたらしている社会的貧困のひとつなのだ。