「休養日」をつくることにした考え方の変化

昨日の「休養日」の肉体疲労が残っていて7時前起床。娘と連れ合いにぶつぶつ言われている声で目覚める。言われたからではなくて疲れているときは「うつ」っぽい気分で目が覚めるのだ。▼肉体疲労は太ももや腰がパキパキしている。そりゃそうだ丸1日立ちっぱなし動きっぱなしで過ごしたから。肉体的には酷使したけど、体調はすこぶるよくなっていて、お目覚め時からメキメキと気分がすぐれていく。目が覚めていっただけか。▼この調子がどうしていけばより長く続くのだろうか。食事と運動に考え方の3本柱を考えてきたけど「休養日」をメリハリつけて取っていくのは「考え方」の面が決定的だ。そのうえ運動も人間本来の「狩り」な動きを浴びてきた。

悪いクセ

体調がいいと感じると「まだまだ」と粘って仕事をしてしまったり深夜遅くまで起きていてしまう。翌朝にアポがないときはまあいいかとやっているが、月単位でならすと調子を悪くさせる原因なのはよく分かっている。 “悪いクセ” の続きを読む

「認知」→「判断」→「行動」

6時過ぎ起床。新聞をとりにポストまで素足で。昨夜は実家で食事にて、一般的な糖質食で〆にカレーライスもいただいた。あまりむくみを感じないのは自宅まで中程度のランをして、ダンベルや腕立て伏せと無酸素系の運動で糖を消費したからか。しかししばらく(一週間程度)警戒は必要だろう。

知的障害者支援やメンタルヘルスのカウンセリングで、「認知」→「判断」→「行動」とよく言う。人間行動の根本を指摘しているもので、健常者やビジネスマンにも当てはまり、これにもとづいたノート(シート)づくりを紹介した雑誌もあった。

「認知」→「判断」→「行動」は、いわゆるPDCAサイクルにも現れている。プランが認知、ドゥとチェックが判断、アクションが行動と言ってよかろう。

これらは、主体自らが行うものであり、他人から押しつけられたとなると認知も判断もゆがんでしまう。組織的に活用するなら「共同作業」性を確保しなければならないだろう。

「効率よく」やろうとして、一つの行程にいくつも重ねようとすると動きが悪くなる。例えば、郵便局にいくのに「ついでに」と思い、そのついでの準備が必要になるなど。こんな時は時間で切っていく。行って帰って30分と区切れば他に「ついで」を入れようがなくなる。あれこれと付加させないで一つ一つ終わらせる。

7時起床。前夜の残りのチャーシューを3枚食べ、バターコーヒー。身体お越しの運動は「四股(しこ)」。玄関を出て冷たいコンクリートの上で踏んでみたら、久しぶりだからかバランスが取りづらくフラフラした。その後キッチンに戻るとフロアの床が暖かく感じた。▼「めんどくさい」気持ちのほとんどは考え過ぎとの記事。たしかにそうだ。目の前に必要性としてあるのに許容量がオーバーしてしまう感覚。向き合って対応を絞り込むと「めんどう」でなくなる。ここでも主体的に選び取る判断が働いている。▼一つ一つに集中するのをスケジューリングは助けてくれる。管理しなければと思うと「めんどう」になるが、目前に向き合うときには支えになるスキルだ。今日と一週間先くらいまで書けるものは書いてみる。当初予定がずれていくのを見つめる。▼「めんどくさい」がなくなる本

7時より河川敷へ。睡眠時間は6時間半を超えた。冷え込んでいるけどすぐに暖かくなった。▼ スッキリとしているのは、昨夜は蒸留酒しか飲んでいないからだ。ワインや発泡酒は低糖質でも明らかに翌日が重く感じる。▼ ここを書き始めてから仕事も順調に完了していき「ブログのちから」を感じる。アクセス集めではないウェブに書いたログ(記録)がブログなのだ。

6時起床。早めに就寝し7時間半ほど眠れた(アプリで計測)。身体の修復は食事よりも睡眠だったのかと体感する。栄養摂取とともに修復のための時間と条件が必要だ。▼ 気が向かなかったので歩きには出ず、ゴミ出しのみ。空気が冷たくなりちょうど良かった。▼ 仕事は午前中に終わらせるつもりで始め、疲れを感じる午後には流れでこなし、結果的になんとか目一杯やっている、こうなればよさそうだ。目一杯をめざすと却って滞る。欲張るとうまくいかない。