健康と活力の源泉は?

健康的な活力は、どこからわき上がってくるんだろうか。それとも自ら絞り出すものだろうか。絞り出す力も前もって必要なのだろうか。活力に満ちていて健康でいられるのは、自分の外から来ていると思っている。ただし、それを我が身に取り入れてエネルギーとできるのは、自分の意思と学習と努力であると考える。ログをとり学んで行動すること。外の活力を我が身に取り入れまた外界に働きかけることができる。食べ物をとって栄養とし生きていくのと同じなはず。

「体調の変化に気づく」とは?体調を自覚する回路がつながっているか?

高らかに自慢したり報告することでもないし、このブログ自体がそうなのだが(笑)。たまたま気づきを得ることができたり、ある程度の取り組みをしてやっと気づけたり。「努力」や「成果」や」「モチベーション」といったあたりのことを。

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ブログ投稿を増やしたいのに「書けない」原因とは?

個人ブログを書くモチベーション。

これについては何度も何度もふりかえっている。自分自身のブログ運用でのモチベーションも悩んでいるし、「お仲間ブロガー」の方のグチや相談でもいつも出てくる。

ドメインを取ってサイトを置いてもそうそう思ったほど書けないもの。
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日常の「ねばならない」を「こうしたい」に読み替えていく

5時55分頃起床。河川敷に出ようかと思ったが書士部屋を窓をあけて積み重なりつつある書類を立てたり棚にしまったり。その後、コーヒーをいれながら昨晩から残っていた洗い物を片付ける。▼昨日午後は友人と話してきた。50歳がみえてきて「そう言えば残りの人生を自分のために生きたい」という感覚について共有。ブラック企業での働き方や過労死のニュースをみるたびに浮かんでいた「働く上での裁量」とか「やりがい」についても思い出した。▼日常の「やらねばならない」に埋没して「これをやりたい」が失われると人間は消耗してしまうようだ。「やりたいこと」をやって「これでよかった」と思えると力が沸いてくる。「やらねばならない」と与えられこなした結果「それではダメだ」とされるといよいよ力も出なくなる。絞り出すように生きるしかなく、のびのび溌剌とすることは望むべくもない。▼日常の「ねばならない」を「こうしたい」に読み替えていくこと。「何かをなしとげて幸せになりたい」ではなく「今が幸せだから、これから何でもできる」に変身すること。

コントロールできる範囲のチャレンジ

午後3時前よりランニング。実家で無線LAN設定の調査やパソコンのアップデートをして帰宅。シャワーを浴びる前の一走り的に出ることができた。早朝よりは気持ち的なハードルが低い▼さすがに梅雨明けの日差しではアスファルトが焼けていて、ビブラムを通しても足裏が熱い。「軽いやけどになるだろうか?」と少しの脅威を感じるほど。行きはジョギングを通し、帰りはほぼ歩いた。自然に「走ってみたくなる」のに任せている▼コントロールできる範囲のチャレンジを続けること。「2キロを行って帰るのがしんどくない、それならできる」という意識が継続につながっている。「少し面度くさいができそうだ」と感じるところにチャレンジをかけるのだ▼メンタル症状は、チャレンジの失敗だ。生きるか死ぬかの両極端ではなく、逆Uの字の理論にあるように「やればできそうな」領域でまだ挑戦していないことがたくさんある。そこを突破するようにやればよい。それで十分に「限界に挑戦」して成長することができる。

食事、運動、考え方

健康づくりについて、食事を糖質制限にするのは大きな転機になる。だけどそれは「こんな食事をすれば完璧」という方向にむかうのではなく、むしろ食事法の転換から得た気づきや日常的なスキルで毎日をうまくやっていく(hackする)という広がりをもつ。「食べたもので決まる」とよく言うようになるけど、食事に匹敵するくらい大きな柱が「運動」と「ものの考え方」だと強く思っている。

対象を大きくつかもうとすること、実践して果実を得ようとすること、影響を及ぼそうとすること、が大事。対象と意欲と行動なきところに、言葉も文章も生まれようがない。